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鳴海 暢平 展 Nobuhira NARUMI 1999年 7月6日(火)〜8月7日(土) A.M.11:00-P.M.7:00 日/月休廊 ●オープニングレセプション 7月6日(火) P.M.6:00- P.M.8:00 |
TARO NASU GALLERY 〒135-0031 東京都江東区佐賀1-8-13食糧ビル2F TEL/FAX 03-3630-7759 |
Dog's Progress ― 犬のゆく道 松井みどり
鳴海暢平は、犬と人間の共生の形をさぐる作品を発表してきた。なかでも近年彼が連続して
行っているのは、いろいろな土地を訪れ現地で出会った犬を飼い主の承諾を得て普段
の散歩コースを歩かせるプロジェクトだ。その折、犬の頭に小型ビデオカメラと犬の
首振り運動でシャッターのきれるデジタルカメラを仕込んだ手作りの帽子をかぶらせ
、撮れた映像を再生する。人間の主観を交えず犬の視点から撮られている映像には地
面近くから見た人間の世界が興味深くとらえられている。同時にその世界はしばしば
、犬と飼い主の普段の生活を反映する。例えば、ロンドンのICAのために行っ たプロジェクト(Bank TV-Viper-)ではホームレスの飼い主の犬を散歩させたが、得ら れた映像はほとんどが食堂のごみ置き場など残飯を漁る場所のものだった。また、返 還直前の香港で行った『嗅景』のプロジェクトでは、いつも裕福な飼い主と車で出か ける犬は歩こうとはせず、乗り物に乗ったとき初めて周囲の風景に生き生きした反応 を示した。 さらに、『嗅景』で、中国返還を前に海外に移住する飼い主に捨て られた犬たちを収容、屠殺する施設を犬の視点で写した映像は、檻の中の犬たちに語 りかけるようなクローズアップが、国家の都合によって翻弄される個人と人間の都合 で殺される犬たちの悲痛な運命を重ねて暗示している。 鳴海の映像の感情に訴 える力は、それが、犬の低い視点や嗅覚に依存する動きによってとらえられたもので あることと関係している。それは、いつも風景や対象物から少し離れた特権的ポジシ ョンをとることでそれらを相対化する人間の視点 ―近代合理精神の主要媒体― と は対照的に、事物に肉薄していく。そうして得られたビデオ映像は、奇妙な視点や映 写のタイミングの遅延や早送りなどによって合理的整合性を一度解体し、新鮮なイメ ージの力を回復しようとしたニューヨークアンダーグラウンドフィルムに通じる映像 の物質性をもつことになる。また、そこでは、いつも対象に近付いていく主体の動き が感じられ、カメラの向こう側とこちら側がある興味や欲望によってつながっている ことを感じさせる。この運動性や主客間の相互関連性は、鳴海のフォトドキュメンテ ーションでもかなり忠実に再現されている。 鳴海のねらいは、文明生活のなか の人と他者との関係を考えさせるというコンセプチュアルなものだ。犬は動物の中で も特に長い間人間と歴史をともにして来た人間に最も近い「他者」ということができ る。現代の文明は人間が長きにわたりその統合的視点と数理的計算により自然を整備 して来た結果できあがった。しかし近代化の果てに、個人は複雑化した政治情勢や経 済、住宅事情などに振り回されて基本的な幸福の姿を見失っている。中国返還による 大量の香港人の海外移住とそれによる犬の遺棄(と屠殺)などは、「国家の統一」と いう「大きな言説」のもとに推進される個人の感情を無視した改革がもたらす悲劇と 言うことができるだろう。鳴海は、犬と一緒に歩くという日常的行為を通して、建前 によって動かされる政治的視野から漏れるものをひろいあげ、抑圧されている感情を 解き放とうとする。彼のプロジェクトは、犬の目で世界を見直すだけでなく、犬を通 して様々な人々と声を掛け合い、視線を交わし、何らかのコミュニケーションをもつ ことを可能にするのだ。犬が引き出す他人同志のなにげないあいさつや好奇心が、機 能性によって固定化された人の行動や感情の流れを一時停止させ、新たな方向を示唆 していく。 しかし、そこで開かれる新しい視野は、動物擁護活動や狭義の地域 主義を推進するものではない。鳴海の作品は、確かに利益追求のためには共同体の習 慣さえも消去しようとする近代主義に疑問を提示するが、その疑問は、いつも個人的 なところから発せられる。ペットや隣人との生活という日常的な差異を大切にする気 持ちが、人を、大きな権力にたいして抵抗させることもある。鳴海の散歩は、そういう差異をそれぞ れの人に思い出させるデモンストレーションなのだ。 このように、鳴海の作品 は単なるヒーリング効果を越えた「政治的な」強さをもっている。しかもそれは90年 代の前半にアメリカで流行した「政治的に正しい」芸術の紋切り型とは違う。そこで は、犬と人という信頼関係の基本的なユニットが、どんな権力の都合によっても否定 できない重要性をもっていることがさりげなく主張されているが、その主張は、プロ ジェクトに巻き込まれた人々がそれぞれ共有するものだ。その個人的共感に立脚して いるという点で、鳴海の作品は、マイクロポリティカルなものであり、その根底でポ スト植民地主義の主張する「地域的視点(ポジショナリティー)」の精神に通じるも のだということができよう。 |
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