Pin-up Board
poster
写真:NATO
デザイン:笹岡敬

ポスターのモチーフについて


福島県立美術館で開催されるコラボレーション・アート展 のポスター・デザインを依頼された笹岡敬(本展出品作家)はNATOがユーゴ空爆の「戦果」を誇こる広報写真をそのモチーフとした。 路線バスが巻き添えとなった問題の橋。上は爆撃前、下は爆撃後の写真である。
コラボレーション・アート展
1999年7月10日(土)-8月22日(日) 福島県立美術館


コラボレーション・アート展に寄せて

 有地左右一+笹岡敬 (カタログ掲載アンケートより)

 美術作家は近代社会における個の確立とともに、個々の作品をまぎれもない自己の制作物として社会に提示して きました。しかし現代においては作品を単なる作家の表現物として了解するだけでは不十分です。すでに芸術のコ ミュニケーションが私的なものではないことは現代における芸術の公共性によって明らかでしょう。その芸術の公 共性は、多くの鑑賞者の間での芸術概念の共有を要請し、教育、批評などを芸術現象の要素として位置づけること で示されています。作品の意味作用は作家-作品-鑑賞者という単純なベクトルで表現されるのではなく、作品その ものが社会的存在として非シンメトリーな関係であることによって成立します。そういう意味で作家は逆説的に社 会的使命をおびることになります。そのときコラボレーションは、個人的な問題に始終せずに開かれた作品を作る ためのテクニックとして機能します。

 ところが実際には個人の存在は頼りなく、いろいろな出来事に脅かされています。生活の場や社会のあらゆると ころで個人の尊厳は脅かされ、公共の場であるTVのワイドショーでも個人のバッシングが繰り返されています。 個人の尊厳というレベルでは日本を含めた欧米でも成熟しているとはいえません。個人の獲得はいまだ社会や芸術 の重要なテーマであり、すべての社会で獲得されているとはいえません。しかし獲得以前に個人性の無制限の拡大 は環境問題という大きな負債を抱える原因になりました。私たちが生き延びるには、個人の獲得とは別に個人の限 界を知り、エゴを操作するための何かが必要になっています。ここではコラボレーションはひとつのキーワードに なります。しかし一方、民族紛争で揺れるコソボ問題も個人の問題を大きくはらんでいます。注意深く考えればコ ソボ問題は個人を獲得したはずの欧米人同士の紛争であり、紛れもなくヨーロッパで起きている戦争です。欧米人 が築いてきた個人の尊厳はNATOというコラボレーションにより破壊されました。コラボレーションは個人の限 界と同時にコミュニケーションの限界も示します。ここでのコラボレーションは私たちのエゴから脱出する手段で あるとは言えず、NATOという集団(コラボレーション )のエゴによって破壊は繰り返されています。
 私たちは今、岐路に立っています。

ボスター・チラシ表紙の簡単な説明

上記のコンセプトからNATOのホームページで開放されている爆撃写真をモチーフに使いました。 写真は民間人の誤爆で問題になった橋の爆撃前と後の写真です。NATOは一種のコラボレーションだと思いますが、そのコラボレーションというコミュニケーションが、橋という(交通)の手段を破壊することでディスコミュニケーションしているという二重の意味を表現しています。
笹岡敬

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